天照大御神=卑弥呼 の根拠 その1


以前、書いた日記 ↓ を読み直して、
http://d.hatena.ne.jp/junti/20120114
肝心のところを書いてないことに気付きました。


なぜ 天照大御神卑弥呼と推測できるのか?


長くなりそうなので2回に分けて書きます。
まず、天照大御神卑弥呼は同時代の人なのか?
を書きます。




卑弥呼の年代)
卑弥呼については比較的簡単に年代を特定できます。
魏志倭人伝が書かれたのは3世紀末(西暦280〜290年頃)
と判っています。
それによると卑弥呼が死んだのは西暦247年と
なっています。


卑弥呼の墓と推測されている箸墓古墳奈良県桜井市
が作られたのは3世紀末。


魏志倭人伝によると、卑弥呼は長寿だったとのこと。
したがって卑弥呼が生きたのは西暦170年〜250年頃
となります。




天照大御神の年代)
これは判らない。神話にしか登場しないので。
しかし、無理に推理すると・・・


神武天皇卑弥呼の5代後の子孫、となっています。


神話にある 「神武東遷」 を解釈すると、
九州で有力だった神武の勢力が近畿に攻め上り、日本を
統一して大和朝廷となった、と考えられます。


その後、有力者の墓として古墳が作られるようになり
ました。


日本史によれば、古墳時代は3世紀中頃から、です。


すると、神武東遷は西暦250年頃。
天照大御神はその5代前ですから西暦150〜200年頃
の人、となります。




卑弥呼天照大御神の生きた時代は、大略、一致します。





参考までに
初代天皇神武天皇が即位した年を元年とする 「皇紀」 
という年号があります。
それによると神武天皇即位は紀元前660年。
今年2012年は皇紀2672年となります。
しかし、これは日本の起源を古く見せるためのミエ
です。全く信頼できません。