竹島の帰属
竹島の帰属について日韓で争っています。
それについての歴史的資料を見つけましたので、書き残します。
(社)日本通関業連合会会報No87(平成20年1月)〜
No92(平成20年11月)までに連載された報告です。
これは江戸時代、竹島を経由した密貿易事件の顛末です。
その中で竹島の帰属について、江戸幕府の判断が記されています。
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事件の概要:
天保7年、石見の国(島根県)浜田藩の廻船問屋が竹島を経由して
朝鮮、清と密貿易していたことが発覚しました。
きっかけは、たまたま浜田を通りがかった、ご存知、間宮林蔵が
異国産の木材を見かけたことによります。
間宮が幕府の命を受けて改めて調査したところ、密貿易が発覚し、
なおかつ浜田藩の重臣が関与していることが解ったものです。
関係者は処罰されました。
この事件は江戸にも知れ渡りました。
その跡始末として、天保8年3月21日、老中水野越前守が以下の
令(ふれ)を出しています。
「・・・右島(竹島のこと)、往古は伯州米子のものども、渡海魚漁等
致し候といえども、元禄の度、朝鮮国へお渡しに相いなり候以来、
渡海停止仰せ出され候場所にて・・・」
つまり、竹島は元禄年間に幕府の判断で朝鮮に渡した、とあります。
さて、それでは、具体的にどういう判断だったのか。
それについても書いてありました。
また次回。