お経を覚える


先日、親戚の法事に出席してきました。
暴れているガキどもに言いました。
「いまからお坊さんがお経を読む。このお経を覚える
と、幸せになれるんだよ」


・・・効果なし、でした。


私たちは、小学校高学年のとき、近所のお寺に集められ
お経の勉強会がありました。
今でもその時に覚えたお経の1節は暗唱できます。


そのとき教わったお経の意味を、さわりだけ書きます。


まず、前文にあたるものが読まれます。
「このお経は大変有りがたいものである、云々」
と最大級のお世辞をいいます。


そのあと本文に入りますが、まず
「如是我聞」(にょーぜーがーもん)
で始まります。


お釈迦さまは、弟子たちに色々なことを話されましたが
文書は残しませんでした。
そこで、1次の弟子たちがその教えを後世に残そうと
文書にしたのです。それがお経。
だから書き出しは
「お釈迦様の言葉を私はこのように聞いた」
(如是我聞) です。


そのあとは
「人はなぜこんなに苦しい悲しい一生を生きていか
 なければならないのか?」
が、読まれているはずなのですが、聞いていても
さっぱりわかりません。


ついでながら・・・
私の日記の題 「如是私感」 はこのお経文の冒頭を
パクッたものです。
こんなことしてては幸せになれない、かな。